finders keepers

バイクが楽しい。写真が楽しい。釣りが楽しい。

祭りのあと

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はじめて町の人間として参加した神田祭が終わった。日本三大祭に数えられる行事に参加できたことは、とても楽しく貴重な体験になった。
  

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前日の雨から一転、日曜日は宮入の本番ということもあって沢山の担ぎ手が集まってくる。外から来る人もいるけれど、町の誰かの知り合いでなければ半纏は借りられない。結果として変な人は混じらず、牧歌的で和気藹々とした雰囲気が守られるというわけだ。皆がハレの日をおおいに楽しんでいる。

 

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祭は伝統行事であるし、そもそもが神事だ。入念な段取りがあり、通すべき筋があり、払うべき敬意がある。役割に応じた身だしなみや立ち振舞いに、誇りと美学が滲む。特に鳶の方々の男っぷりには、惚れないわけにはいかない。

 

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はじめて参加する自分に対し、町の人はみな寛大で親切だ。けれどお客さまとして神輿を担いでみたかったわけじゃない。その準備や後始末にも関わって、当事者としてこのイベントに触れてみたかったのだ。世代をつないで大事にしてきたものを、知りたかった。

 

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遠ざかる掛け声を聞きながら、少し早めに神輿を離れて片付けを手伝いはじめる。このようなイベントの背後には、人知れず骨を折る人々の姿がある。

「その日のうちに飾りを撤去して、翌日に痕跡を残さないのが粋なんだよ」
とはこの町で育った先輩のことば。

痺れるなあ。二年後も楽しみだ。

祭りの準備

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大通り沿いに注連縄を張り、紙垂を垂らす。
二年に一度の神田祭が、いよいよ来週スタートする。

この土地に住んでしばらくになるけれど、町会に入って町の活動に関わるのははじめてのことだ。ほとんどのことはこの地に根を張って商売をしている方々が段取りしてくれていて、自分がお手伝いできるのはこういった些細なこと。とはいえ一人でできる仕事ではないから、共同作業を通じて自然と地域の人々との一体感が生まれていく。やり方を知っている人から、若手に仕事が継承される機会でもある。祭りが担ってきたのはこのような機能なのだろう。

 

都会の賃貸マンションでは、住人は互いのことをほとんど知ることがない。土着の人にとってはなおさらであって、住人がいても一向に「町の人」は増えていかない。千代田区に新たに家を建てる人などいないし、そんな土地もないのだから、地域社会の存続には地方とは違った悩みがあるわけだ。自分もまた近所のバーで町の人と知り合いになるまで、ゆうに5年は「見知らぬ住人」でありつづけていた。

 

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実際、機会さえあれば参加したい人はたくさんいるんじゃないかと思うのだけれどね。飛び込んでみれば地域の人々はオープンでウェルカムな雰囲気で、何事も楽しい。名前の入ったマイ半纏をこしらえて藍染の腹掛・股引を買い求め、何度も水洗いをして準備は万端である。あとは神輿を担ぐ体力であるが、こればっかりは経験してみなければわからない。

空から見る世界

サン・テグジュペリやリチャード・バック、ロアルド・ダールに稲垣足穂。小説のなかで想像するだけだったヒコーキ野郎たちの見る世界を(目線というだけにおいてならば)簡単に体験できる時代になった。ドローンという機械によって。

 

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手に入れたのはDJIのMavic Pro。購入の決め手はコンパクトなサイズだ。バッグに本体とコントローラ、替えのバッテリーを2本詰めても、へたな一眼レフよりコンパクトに収まってしまう。これならバイクでも持ち歩けるし、持ち歩けるということは使う機会がふえる。天気の良くなったはじめての週末、さっそくセローで房総半島を駆け回ってきた。

 

あっけなく撮れる。操作も簡単。いやはやすごい時代だ。

コントローラに繋いだスマートフォンのディスプレイを通して、ぼくらは鳥の目線を手に入れる。思うままに飛べるのは束の間、ドローンのバッテリーが続く間だけだけれど、家に帰ってから映像を何度も反芻して、世界の美しさを堪能する。視野が広まるというのは、まさにこういうことだ。

 

*一日使った時点の、メモとして。

  • コントローラの右側にある飛行モードのスイッチに注意。スポーツモードに「なっていない」ことを確認しよう。
  • 強風やばい。風にあおられて制御が難しくなるおそれあり。
  • 調子に乗って遠くまで飛ばしていたら無線信号をロストしてしまった。が、自動的にホームポイントに飛んで帰ってきてくれた。優秀。(GPS信号をきちんと受信して離陸するとそこがホームポイントになる。)
  • ↑というようなことがあるので、バッテリー残量が半分になるまえに帰路につくべき。フライトは10〜20分程度と思っていたほうが無難。
  • 色々法規制されるのは当然です。あぶない。

努力と応援が報われる日

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サンウルブズ、今シーズン初勝利。勝負事である以上は、やはり結果というものが一番の歓びなのだと、ファンはもちろん選手やスタッフの清々しい表情が物語る。ブルズのストラウス主将が敗戦のあとで相手チームや観客を讃える態度にも、ラグビーというスポーツの魅力が象徴されていると思う。名門ブルズだって今シーズン1勝しかしていないのだ。人類が争わずにはいられない生物だとしても、競争とはこういう形であってほしい。

 

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試合後の外苑前HUBもまた、熱狂を反芻する場所である。見知らぬ人たちとハイタッチし、乾杯して、勝利の余韻に浸りながらこれから始まるニュージーランド遠征に怯えるのだ。次に勝てそうな相手はどこかとか、今ラグビーを観ていない人をどうやって巻き込むかとか、2019年のワールドカップ開催に向けて僕らは何ができるかだとか。

 

まあ色々あるから、人生は楽しいということで。

アタマのなかにSiriがいる

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ぼくらのカラダは実によくできた仕組みがあって、生きていくうえでの大半のことを制御する必要がない。そろそろ爪を伸ばしておこうとか、運動に備えて呼吸を増やそうとか、食べたラーメンから無駄なく炭水化物を得よう、などと指示する必要はない。総務や各部署のメンバーがせっせと働いてくれていて、社長に稟議書をあげてくるのはそれが必要なときだけだ。食欲とか、眠気とか、尿意とか、届けられる稟議書は巧妙なので、社長はそれに判を押すだけでよい。

 

アタマのなかには猛烈に出来の良いSiriのようなものがいて、入ってくる情報を巧みに整理し、経験やら記憶やら遺伝子のデータベースから関連情報を探し出してくれる。視界に入った友人を判別し、街の喧騒のなかから自分の名前を抽出し、紅茶に浸したマドレーヌから遠い記憶を呼び起こす。 

問題はこのSiriが、少しばかり勤勉すぎることにある。

 

目下の仕事がなくなると、Siriは過去のデータベースから資料を探し出して「あのときのことを振り返っておきませんか?」などと提案してきたりする。よい記憶の反芻ならばともかく、大抵はネガティブな事案の検証だ。アタマの中のスクリーンにムービー再生をはじめ「あのとき何と言えばよかったか」なんていうシミュレーションをやりだす。 まだ起こってもいない未来の想定プランをいくつも作り出して、結論のでない不毛な会議をはじめる。これをぼくらは不安だとか心配と呼ぶ。Siriの提案を、自分の主体と混同する。

 

必要なときだけSiriを起動し、普段はサジェスト機能をオフにしたいのだけれど、その設定画面はどこにあるのだろうか。

哲学や宗教というものは実のところ、そんな環境設定の方法を模索しているものなのかもしれない。