finders keepers

バイクが楽しい。写真が楽しい。釣りが楽しい。

CITROEN CXに家族を乗せて

いちどはハイドロに乗ってみたいと注文したシトロエンCX。納車を待つ一年の間に思いがけず結婚することになった。家庭を持つと分かっていたらこの車を選んでいたかと問われれば、おそらくノン。とはいえ独身だったからこそ注文できたわけで、これもまた運命なのだと考えてしまうことにする。すでに納車から二年と少し経って最初の車検も終えた。この間に子供も生まれて、令和の時代に「ベビーを乗せるファミリーカーとしてのCX」を語るテクストはあまりないだろうと思い、筆をとることにする。

 

本モデルはCX 2400 Pallas。ふかふかのシートとハイドロによって生み出される乗り心地は独特で、魔法の絨毯と称されたのも頷ける。この乗り味こそが魅力なのは間違いないのだが、人間の身体というものは慣れてしまうもので、乗っていればこれが普通になってしまう。他の車を運転したり、メンテでしばらく乗れなかったりしたあとにこの車を運転すると、ふたたびニヤリとする。そんな具合だ。

良い車とは言っても40年程経過しているのだから、現代車と比較するのはナンセンスであろう。風切り音もするし、アイドリング時のエンジンの振動は結構あるし、社内の温度調節が難しかったりする。憧れのボビンメーターを「実際は見にくいよね」と言えるのは所有した者の特権だ。UIについては現代に通じていないものが多く、過去にタイムスリップしてから別の未来に来たような感覚が面白い。80年代のテクノポップ的な良さとでも言おうか。

 

チャイルドシートを購入するとき店員さんに車種を聞かれて、絶対に適合リストには載ってないよなあと思いながら答えると、案の定メーカーのリストには見つからず「自己責任で」と念押しされた。そうだ、こういう車を選ぶのだから、自己責任はわかっている。大人がゆうゆうと座れるリアシートなのだからチャイルドシートが置けないはずはない。シートベルト式を選べば大丈夫だ。(大丈夫だった)

 

ほとんど役に立たない情報だろうが、ストッケのエクスプローリーXが一応載る。ただしシートは外して助手席に載せることになる。後部座席にチャイルドシートを置き、妻がその隣に座るので、親子3人でいるうちは問題なし。ゴルフバッグもトランクに2つぐらいは入るので、1つを助手席に置けば(&チャイルドシートがなければ)大人3人でゴルフに行くことができる。

多少注意を要するのは駐車場で、機械式では断られることが多い。停止している時に車高が下がるので、何かあったらレッカーではなく積載車が必要だ。ルームランプをうっかり触ってしまってバッテリーをあげてしまうことが2回あった。

 

縁のあったルージュのCX。今のところ大きな不具合はなく楽しく乗れている。できれば家族の思い出とともに過ごしたいのだが、さてさて環境がそれを許してくれるかどうか。

その不安は、何を恐れているのか

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たくさんの人が不安に苛まれ、消耗している時期だ。

ヒトの身体に組み込まれた「恐怖」のはたらきにより、私たちは避けるべき事象、危険に対して心地悪い身体状態をつくりだす。安全が確認されるまで、この状態は消えない。

猛獣に遭遇したとか、台風のまっただなかとか、切り立った崖の上にいるとか、危険に直面しているときに私たちは「恐怖」を生み出し、まだ起きていないことや認識できない危険に対しては「不安」や「心配」を生み出す。その目的が似通っていても、対象がはっきりしない点で不安は厄介だ。起こりもしない妄想を繰り返すことで、どんどん不安を増大することができる。必要なリスク対策を超えてリソースを費やし、エネルギーを消耗する。

この不安が何を対象に起こったものであるか、注意深く眺めてみたい。ウィルスに感染することへの恐怖なのか、自らの死を意識するゆえの恐怖なのか。あるいは誰かを感染させることの恐怖か。ウィルス蔓延の媒介となることで、自らを殺人者と考えてしまうのか。

だとすれば媒介者となった他人を、殺人者と考えているのか。

恐怖という安全装置

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しばらくエンジンをかけていないと思ってZXR400に火を入れた。久しぶりに走らせてみると「すこぶる面白い」から参ってしまう。気持ちよさに関しては、新しいバイクが最良というわけではないふしぎ。・・・そもそも自分は何をこんなに「気持ちいい」と感じているのだろう。ときには感覚に没頭せず、身体の反応を客観視しながらライディングしてみる。

そうして走っていると、怖いという感覚が実によくできたシステムだとわかる。カーブでの倒し込みであれ濡れた路面であれ、初めて経験するゾーンではヒヤリとした感覚が生まれるものだ。怖さが生じれば無茶はしなくなる。恐怖にブレーキをかけられることで、私たちは比較的安全な範囲で経験を積み重ねていくことができる。習熟や理解が進んで恐怖が生まれなくなれば、次のステップに進む準備ができたということだ。

 

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新しい仕事場で取る電話も、大人数を前にしたスピーチも、怖さが生まれるのは「経験の薄さ」ゆえかもしれない。何度もやっていれば怯える必要もなくなり、ストレスは消える。逆に、何かの行動の結果が悲惨なものであったら、次回はもっと強い恐怖が伴うだろう。口をひらく度に暴力を受け続ければ、人は声を出すこともできなくなる。私たちに組み込まれた安全装置が、私たちの行動を制約する。

ラグビーを好きになったなら

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ラグビーワールドカップが、こんなにも幸福な時間だとは。

開幕以来ほぼ毎日試合を見ながら熱戦に心打たれ、ビールで飲んだくれている。はじまってみればこの国の人々のお祭り根性・おもてなしの心と、ラグビーの目指す精神性が調和して、想像を超えるすばらしい大会になった。

 

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「ラグビーっていうのは、こういうふうに楽しむものさ」と、教えてくれたのは海外から訪れたラグビーファン。その空気を読んで、すぐに合わせられるのが日本の人々だ。スタジアムの雰囲気がどれほど素晴らしかったか、言葉で伝えることは難しい。アイルランド戦は試合前から幸せだった。それは試合に勝ったから生まれた感覚じゃない。

 

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これはもはや人類のあり方のハナシ。人種や国籍、信念や宗教といった境界をやすやすと超えてしまう姿を目にして、しがみついていた観念が何なのかに気がつく時だ。「日本代表なのに日本人が少ない」という言葉が、恥ずかしく感じる時代はすぐそこに来ている。

GSX-R1000R 慣らし運転

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新しい相棒はGSX-R1000R ABS(2019)。車検のタイミングになったカリフォルニアを下取りに出してお迎えとなった。カリフォルニアは良いバイクだったけれど、活きてくるのはロングツーリング。自分のライフスタイルでは使うチャンスがなかったというだけだ。

 

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慣らし運転が必要かどうかというのは諸説あれど、取説を見ると「1000km走行までは5500回転以下で」と書いてある。5500回転の時にランプが点灯するようにセットして、走行モードは穏やかにCで。新車購入時だけの特権と思えば、慣らし運転も楽しいものだ。各ギアを満遍なく使って、穏やかに加減速を繰り返し、サスやブレーキを動かす。初日は50km、2日目は150km、3日目は250km。熱の入ったエンジンを冷ますのも大切なプロセス、、、のはず。

 

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はじめてのスズキ。エンジンのフィーリングがメーカーによって本当に違うのを実感する。R-1に比べるとポジションも楽で、Cモードということもあって普通に乗りやすい。最新技術を知りたいというのもこのバイクを選んだ理由のひとつで、クイックシフターの便利さ、トラコンの介入などを少しずつ経験できている。R-1を手放したときは「自分じゃ使い切れない」という意識があったのだけれど、今はむしろ「使い切れないからこそ安全なのじゃないか」と思ったりする。

 

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まあ、焦らずゆっくり楽しみましょう。