finders keepers

バイクが楽しい。写真が楽しい。釣りが楽しい。

暦に息づく陰陽五行の思想

今やぼくらの使うカレンダーはもっぱらグレゴリオ暦だけれど、昔の人が指針とした暦もちゃんと残っている。そういうものを探ってみると、昔の人が当たり前に持っていた知識が、新鮮に発見されて面白い。たとえば太陽の動きを24分割した「二十四節気」を眺めれば、季節の変化はこちらのほうが実態に即しているとわかる。

2018年の二十四節気

2018年、猛暑がつづく日本列島は今まさに小暑から大暑に差し掛かったあたりである。日が一番長い「夏至」を越えて、暑さのピークは少し遅れてやってくるのが自然の摂理。立秋になれば暑さも和らいでいくはずだが、今しばらくは辛抱が必要というわけだ。冬もまた同じように、日が一番短い「冬至」が寒さの極みではない。あたたかくなりはじめる立春に旧正月を迎えるなど、昔の人は実にふさわしい日を節目としていたと思う。(ちなみに節目を分けるのが「節分」である)

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さて古代中国に生まれた五行という考え方があって、万物を五種の元素(木火土金水)に分ける。これを季節に対応させると、春夏秋冬が木火金水、各季節の変わり目が土(土用)となる。五行各元素の関係を示した図は知らずとも、相克の描く五芒星のマークには見覚えがあるのではないだろうか。(平安時代の陰陽師・安倍晴明が紋に使っている)

古の人は肉眼で見える星に木火土金水の名前をあてた。そこに太陽と月を加えれば「七曜」(日・月・火・水・木・金・土)となり、いまは「週」を構成する各日のラベルになっている。しかしこれが当たり前になっているからといって、ほかのやり方がないわけではない。

たとえば6日でワンセットとなる「六曜」がある。先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口というアレだ。「二十八宿」なんていうものもあるけれど、使っている人は見たことがない(角 亢 氐 房 心 尾 箕 斗 牛 女 虚 危 室 壁 奎 婁 胃 昴 畢 觜 参 井 鬼 柳 星 張 翼 軫)。「九曜」は「七曜」に2つ加わる。

 

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今も生活に息づいているのは「干支」だろうか。とはいえ皆が諳んじられるのはたぶん十二支(じゅうにし)のほうであって、十干(じっかん)が認識されているかどうかは怪しい。2018年の干支を問われれば「戌年」というのは片手落ちで、本来は「戊戌(つちのえいぬ)」である。十干も十二支も毎年1つずつズレて繰り返していくので、その組み合わせは60年で一周することになる。(これが「還暦」である)

十干の読み方を見れば、陰陽五行が割り当てられていることがわかる。兄と弟というのは陽と陰。干支を「えと」と読むのはこの兄(え)・弟(と)によるのに、記憶されているのが十二支のほうだというのも興味深い。十二支に動物が割り当てられたのも単に記憶しやすくするためだとか。

干支は年だけでなく日にも割り当てられていて、それゆえ「丑の日」は12日毎にあらわれる。「土用」の期間は18〜19日なので「土用の丑の日」はせいぜい1〜2日。僕らが使うカレンダーにはふつう干支は書かれていないので、メディアやお店が掲げる日に(うなぎを食べるとか食べないとか)踊っているばかりだ。

 

ところで今年が「土」の年であると認識して何らかの意味を見るのは、叡智だろうか、蒙昧だろうか。生年月日から導き出される性格診断の根拠がこれらの暦だと知ったら、笑うだろうか、感嘆するだろうか。

Kawasaki ZXR400 納車

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新しくお迎えしたバイクは、91年式のまったく新しくないバイク、ZXR400である。はじめてのカワサキ。旧くはあっても、なかなかいいデザインだと思う。少々の野暮ったさも時代を感じさせて愛おしい。

 

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購入にあたってはKTM RC390を手放した。立ち位置としては同じ「程よいサイズのスポーツバイク」で、用途はスポーツ走行である。RC390は軽快で良いバイクだったけれど、本音を言えばエンジンフィーリングが好みとは違った。そうするとやっぱり4気筒、というわけで。

 

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走らせてみれば期待通りで、首都高のナイトツーリングが実に気持ちよかった。すばらしい咆哮を上げながらひとつひとつのカーブを堪能できて、30分走らせればライディングを満喫できる。そしてまた、その咆哮ほどのスピードが出ていないのもよろしい。フォォォ――――ンとわめきながら時速50km、とかね。リッターバイクではこうはいかない。

 

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というわけで早速サーキットへ来てみたけれど、酷暑のなか革ツナギ着て自走はキツかった。1本走って命の危険を感じ、早々に退散。

オトナはマイペースで楽しみましょう。

たばこの代わり

たばこを吸わずに1週間が過ぎた。


たまたま吸えない日があったので、どの程度吸わずにいられるのかを確認してみようと、そんな程度のことだった。1週間経ってもたいした苦はないけれど、代替するものが見つからないことも強く感じている。たばこで得ていたものが何だったかに気がつく。

たばこに火をつけたくなるのは、主に少し頭をゆるめたいときだ。仕事の集中がすこし切れたとき、デスクを離れて一服して、さあもうひと頑張りとスイッチを入れる。このような時間は誰にでも必要なのだけれど、非喫煙者化しているとそのタイミングがうまくつかめない。仕方がないのでトイレに行き、数分個室で過ごしたりする。狭い空間、便器の上では、気持ちよくリフレッシュはできない。

給湯室でコーヒーでも淹れて、一息入れるという方法もあるだろう。ところがこれは思ったより時間がかかり、リフレッシュを通り越してリラックスモードになってしまった。エスプレッソマシンがあれば5〜10分で飲み切るスタイルにできるかもしれない。たばこがリフレッシュに良いのは、1本が燃焼する時間でキチンと終わりが訪れることにもある。(だから、吸い続けられるタイプの電子たばこは、大事な機能をひとつ失っているとも言える。)

代替物をさがして、ミントやガムを試してみる。ガムはくちゃくちゃしている姿が美しくないように思えてやめた。ミントはバリエーションも増えていて今のところ有効。ただしデスクでも口に放り込めてしまうので、チェーンスモーキングのごとくミントを食べ続けてしまうこともある。こうなるとリフレッシュの機能はなくなり、糖分摂取のほうが心配になる。デスクを離れて動く、という必要がなくなるのも惜しい。

たばこに火をつけなくなって考えたのは上記のようなことだった。

こうしてみると、味の話がないことに気がつく。たばこを味わう行為と、たばこで気分転換する行為は、別物なのである。(味わうならパイプや葉巻のほうが良く、パイプや葉巻はちょっとした時間で吸えるものではないから、それを楽しむのは「リラックスできる時間」を確保してからのことである。一日の終りのお酒に似ている。)

喫煙という行為は(それがどのように評価されているかはともかく)世間的に認められていて、それが何なのか、なぜそうしたいのかを説明する必要がない。これも重要かもしれない。おじさんが何もせずに立っていたら警戒されるのに、たばこを吸っていれば納得される。喫茶店やバーで、特に何もしたくないときに、たばこに火をつければ話は早い。

そう、ただボーッとしたいとき、特に何もしたくない時に、する行為。そうしていることを誰かに納得させる必要がなく、説明する必要もない行為。

そういうものがたばこの代わりになるはずなのだ。

楽器に乗って走っている。

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音は振動だ。ふつう空気や水、肉や骨を媒介として鼓膜に伝わり(その先の複雑な伝達や電気信号への変換を経て)認識された振動を音と呼ぶ。当然ながら振動は耳だけで味わうものではない。コンサートホールやライブ会場に足を運べば、その振動は肌で感じることができるし、床からズンズンと伝わる振動は否応なく心を掻き立ててくれる。

バイクというのは振動の塊であるから、ライディングが与えてくれるのは音楽を聴くこと、あるいは演奏することと似た快楽なのかもしれない。走るという行為の必然としてアクセルの開閉があり、エンジンの回転数によって絶えず振動の変化があって、さながら音階のようなものが生まれる。楽譜はないからインプロヴィゼーション。表現力に限界はあれど、加速・遠心力・重力とのハーモニーは、コンサート会場でも得られまい。

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マフラーはまさに管楽器だが、そこに息を吹き込むのはエンジンだ。エンジンはそもそも打楽器的に振動を伝え、基調音を奏でるので、ライディングを通じた官能に大きく影響する。ただの動力ではなく、ライダーはそこにテイストの違いを発見してしまう。使い込むうちにフィーリングが変わってくるのも面白いし、「エキパイは鉄のほうがいい」とかいう嗜好も生まれたりする。

 

寒空の下、80km/hぐらいで高速をクルージングしながら、そんなことを考えていた。カリフォルニア1400のエンジンは、この大きさだけあって実に豊かな振動を伝えてくれる。回転数を上げてそれなりにキビキビ走れるのが本領なのだけれど、そういう走り方をしたいのなら別のエンジン・ジオメトリが相応しいのではないか。コントラバスを使ってヴァイオリンの旋律を奏でるよりは、少し鷹揚に走ってこの振動を堪能していたい。

それならハーレーでいいんじゃないかって?
うん、あれもいい。

RIDING PARTY@袖ヶ浦フォレスト・レースウェイ

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RIDERS CLUB主催のサーキット走行イベント「ライディングパーティ」に2回目の参加。「サーキットデビューを応援」「速いがエライじゃない」というコンセプトが実にうれしいイベントだ。

 

サーキットデビュー組から速い人まで4つのグループに分かれていて、15分ずつの走行枠を走ることができる。午前中、10時・11時の2本は先導車に導かれての慣熟走行、12時から4本はフリー走行。自分なりのペースでサーキット走行を楽しみながら、参加者の多様なバイクを眺めたり、出展されているブースに顔を出したり、試乗車に乗ってみたり、ライダーズクラブの方々とお話できたりする。

 

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運転していることがひたすら楽しいのがバイクという乗り物であって、それを存分に味わおうとすればサーキットに行くしかない。(オトナなら)公道では実践できないレベルでバイクを倒し、カーブを曲がり、スロットルを開いていける。狂気のようなスピードを出すためではなく、安全に、好きなだけライディングを楽しむ。それがサーキットという場所だ。

 

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というわけで走る。ニューロンの発火とシナプスの結合を繰り返して、ぼくらの身体は勝手に仕事を覚えてくれる。先導車の後ろで、きれいなライン取りをトレースしていくだけで、たぶん少しずつ上手に走れるようになる。

・・・といいつつ、フリー走行の時間帯になると頑張ってしまうのがヒトというもの。前回に比べてラップタイム4秒ほど成長がみられた。速いがエライじゃないとはいえ「うまくできたか」の客観的な指標として、ラップタイマーがあると楽しいと思う。

 

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ネモケンさんのタンデムジェットコースターは強烈だったなあ。「バイクって、こうやって走らせるのか」と、新しい経験に身体が震えた。御年70歳にして、バイクの楽しさを伝え続ける偉大な方がいる。

 

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本年度のライディングパーティは終了。来年も行こう。