finders keepers

バイクが楽しい。写真が楽しい。釣りが楽しい。

たばこの代わり

たばこを吸わずに1週間が過ぎた。


たまたま吸えない日があったので、どの程度吸わずにいられるのかを確認してみようと、そんな程度のことだった。1週間経ってもたいした苦はないけれど、代替するものが見つからないことも強く感じている。たばこで得ていたものが何だったかに気がつく。

たばこに火をつけたくなるのは、主に少し頭をゆるめたいときだ。仕事の集中がすこし切れたとき、デスクを離れて一服して、さあもうひと頑張りとスイッチを入れる。このような時間は誰にでも必要なのだけれど、非喫煙者化しているとそのタイミングがうまくつかめない。仕方がないのでトイレに行き、数分個室で過ごしたりする。狭い空間、便器の上では、気持ちよくリフレッシュはできない。

給湯室でコーヒーでも淹れて、一息入れるという方法もあるだろう。ところがこれは思ったより時間がかかり、リフレッシュを通り越してリラックスモードになってしまった。エスプレッソマシンがあれば5〜10分で飲み切るスタイルにできるかもしれない。たばこがリフレッシュに良いのは、1本が燃焼する時間でキチンと終わりが訪れることにもある。(だから、吸い続けられるタイプの電子たばこは、大事な機能をひとつ失っているとも言える。)

代替物をさがして、ミントやガムを試してみる。ガムはくちゃくちゃしている姿が美しくないように思えてやめた。ミントはバリエーションも増えていて今のところ有効。ただしデスクでも口に放り込めてしまうので、チェーンスモーキングのごとくミントを食べ続けてしまうこともある。こうなるとリフレッシュの機能はなくなり、糖分摂取のほうが心配になる。デスクを離れて動く、という必要がなくなるのも惜しい。

たばこに火をつけなくなって考えたのは上記のようなことだった。

こうしてみると、味の話がないことに気がつく。たばこを味わう行為と、たばこで気分転換する行為は、別物なのである。(味わうならパイプや葉巻のほうが良く、パイプや葉巻はちょっとした時間で吸えるものではないから、それを楽しむのは「リラックスできる時間」を確保してからのことである。一日の終りのお酒に似ている。)

喫煙という行為は(それがどのように評価されているかはともかく)世間的に認められていて、それが何なのか、なぜそうしたいのかを説明する必要がない。これも重要かもしれない。おじさんが何もせずに立っていたら警戒されるのに、たばこを吸っていれば納得される。喫茶店やバーで、特に何もしたくないときに、たばこに火をつければ話は早い。

そう、ただボーッとしたいとき、特に何もしたくない時に、する行為。そうしていることを誰かに納得させる必要がなく、説明する必要もない行為。

そういうものがたばこの代わりになるはずなのだ。