finders keepers

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閃きのタネ

ここ2ヶ月くらい将棋の本を読んでいる。だいたいは棋譜を読みながら手順を辿るものであって、ビギナーには読むこと自体が大変だ。それでもようやく1冊読み終えて、いざゲームソフトをプレイしてみても、低レベルのコンピュータに負けてしまったりする。将棋の道は果てしない。

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それでも元来アタマを使うことが楽しいのか、すっかりハマってしまったようだ。5冊も10冊も読む頃には、少しは読めるようになってくる。とはいえ将棋の本は難しいので、手順を丸暗記したり、完全に理解したなんて状態にはなれそうにない。読んでも読んでも棋力が上がった実感が持てない。

しかし、である。人間の脳というのはすごいもので、並べた棋譜は一応はアタマに入っているらしいのである。考えたプロセスは何かしらの爪痕を残しているらしいのである。このことに気がついたのは、久しぶりに詰将棋の本を開いたときだ。簡単に解ける問題が明らかに増えていた。閃くようになった。

この体験を踏まえると、思考とは単なるデータ検索であって、データをインプットしておいたから閃きが生まれた、ということに思える。もしそういう構造ならば、経験も知識も多彩であるほど閃きが生まれるはずだ。逆に、余計なタネを貯めておくと健全でない思いつきが生まれるかもしれない。

思いつくという行為が一体何であるのか。
どうやって私たちは閃いているのか。
その思いつきは本当に私の行為なのか。

そんなことを不思議に思いつつ、今日も棋譜を辿る。