finders keepers

バイクが楽しい。写真が楽しい。釣りが楽しい。

読書感想文:あなたの身体は9割が細菌

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作者:アランナ・コリン
翻訳:矢野 真千子
出版社:河出書房新社

 

ヒトの身体には100兆もの微生物が住んでいて、彼らなしには生きてすらいけない。肥満やアレルギー、うつ病といった現代病は、体内微生物の生態系に原因があるかもしれない。今まさに研究のすすむ「マイクロバイオーム」の世界を紹介し、ヒトという存在に新たな視点を与えてくれる、そんな一冊だった。

面白く思えるのは、体内微生物の生態系をひっくるめたものが私たち自身であって、欲求や性格にも多分に影響しているという点である。食べたいものも、異性の好みも、私たちの身体に住む住人たちが国民投票をしているようだ。キスやセックスは使節団の交換であって、「なんか違う」と思ったら外交官がアラートをあげたということなのだろう。理由はわからないのに惹かれるのは、理性を超えた住人たちからの要求かもしれない。父親の匂いを臭いと感じる娘の反応は、実に健全な状態であると喜ぶべきだ。

そしてまたこの住人たちは移動ができる。母から子へ、友から友へ、日々の接触機会を通じて大陸を渡り、移り住んでいく。日本人の一団が南米に移り住んだように、別の集団が定住しはじめれば国家の有り様も少しだけ変化するだろう。実際に、他人の細菌集団を移植するという治療法が効果をあげている例も本書に示されている。体内微生物がどれだけヒト本体に影響するかはわからないものの、長年連れ添った夫婦がどこか似てくるのも根拠のあることかもしれない。類が友を呼ぶのか、友が類になるのか、どちらもありそうな話だ。

「わたし」とは何だろう。
遺伝子や記憶、経験や過去ばかりでなく、体内に共生する住人たちにも目を向けてみたい。

SUZUKI SV650 インプレッション@熊本

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いいとは聞いていたけど、阿蘇の道は本当に気持ちよかった。緩やかな起伏のなかを縫うようにワインディングロードが走り、眼下に見える市街地との高低差が雄大な景色をつくる。標高が高すぎるわけではないから緑も豊富。木立のなかを走る道もあれば、草原を抜けていく道もあり、それでいて熊本の市街から小一時間もあれば辿り着けるというロケーションが、東京住まいの人間からすると激しく羨ましい。ズルいよ、熊本人。

 

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レンタルで借りたのはSUZUKI SV650 ABSだ。旅先で変な神経を使いたくなかったからと選んだのだけれど、本当にいいバイクだった。軽くて小さくてシンプル、借りるときもバイク屋の人が「ええと・・・特に説明することはありません」という有様。まったくその通りのバイクで、乗ればすぐに自分の手脚のように感じられる素直さがあり、アクセルを開けば思った通りのパワーが引き出せて、それでいて変に急かされることがなく、純粋にライディングを堪能できるのだった。走行距離の少ない車体だったけれどエンジンフィールの良さは十分に感じられて、走るほどに味わいが増すんだろうな。やはりVツインは楽しい。

 

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いい意味での地味さというか、控えめな存在感も魅力だと思う。ライダーというものはうっかりすると乗ったバイクのパワーを自分の速さだと勘違いしたり、自己のアイデンティティを投影させてしまうものだけれど、SV650に乗っているということはたぶん背伸びの必要がない。セローがそうであるように主役はあくまでライダー。たぶん自分はSVを選ぶ人を無条件に信頼できる。(V7選んじゃう人のこともそうなんだけど)

 

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ところで熊本を走り回っていると通行止めの道はまだまだ多くて、地震の爪痕に気付かされた。阿蘇神社も修復の途中。熊本にはまだまだ支援が必要だ。もちろん東北にも。

 

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自分をこの地に向かわせたきっかけはラグビー日本代表とルーマニアのテストマッチなのだけれど、音楽にせよスポーツにせよ、人を集める力が果たす役割の大きさを、身をもって実感した熊本行脚であった。

サーキット走行ことはじめ

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何かをはじめようとするとき、本当に必要なのは「やってみたい」という気持ちだけ。初夏の清々しい天気の中、はじめてのサーキット走行に出かけた。

 

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目指したのは霞ヶ浦のトミンモーターランド。都心から100kmもない立地と、半日単位のリーズナブルな価格、30分のビデオ講習だけで走れるという気軽な感じがちょうど良さそうだと思った。一周550m足らずだし、ストレートも100mちょっとだし、スピード出ても知れてるだろう、と。健全な大人たちの遊び場は、牧歌的な風景の向こうにある。

 

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ゲートオープンは8時。受付とライセンス講習を済ませてから、サーキット走行の準備をする。ボルト8つで前後の保安部品が取り外しできてしまうところがさすがKTM。タバコを吸いながら9:30のスタートを待つ。

 

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ハイシーズンの休日とあってか、サーキットは大盛況。20分ごと3つのクラスに走行枠が分けられて、午前中は3本走れるということになった。なんだそんなもんかと思ったのは、この時までのハナシ。十分すぎる時間だということは走ってから分かった。

 

一本目。無理せず慣れようと走る。一番遅い枠なのに(自分から見ると)みんな速い。台数多くて怖い。バイクってこんなに寝かせるんだっけとか、どのぐらい減速するべきなのかとか、全然よくわからない。15分くらいで集中力が尽きてコースアウト。

二本目。やっぱりうまく走れない。ずっとコーナー!というようなコースだし、バイクどうこうというより腕の問題だ。タイトなコーナーをスイスイ抜けていく皆の姿にあこがれる。上位クラスの走行を見ていたら二人ぐらい転倒していた。大事には至らず。

三本目。速度よりラインを意識してみたら、これまでよりはマシなコーナーリングができた気がする・・・何回かは。はじめの二本より台数減ったようで、ちょっとだけ走りやすくなった。上手に走れるようになったとは思えないが、抜かれるのはうまくなってきたかな。遅くてゴメンナサイ。

 

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タイムどころのハナシではなかった初走行は34.5秒。スポーツ走行はじめたばかりだし、伸び代たくさんあるってことでヨシとしよう。怪我なく無事に楽しんでこれたということが一番重要なことでね。

 

KTM RC390 (2016) 納車

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バイクは3台までと決めていたのに、なぜかコイツがここにいる。R1を手放した結果スポーツ走行への欲求が高まるというアンビバレンツ。別れた後に未練が生まれるというのは男子の習性なのだろうか。まあいいや、もう買ってしまったんだ。

 

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慣らし運転ということで色々なギアを使って回転数を制限しながら走るのだけれど、これがなかなかつらい。というのも低回転域は決して楽しいフィーリングとはいえないからだ。回転数を上げるにつれて「はいはい、こういう感じね」とニンマリするのだけど、すぐに自粛ゾーンに入ってしまう。同じ単気筒でもトコトコと低速で楽しいセローとはまったく違っていて、エンジンひとつとってもこんなに性格違うのだなあと感心する。

 

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道志みちを通って西に抜けたので、身延に寄る。コーナーをしっかりブレーキングしたり、意識的にアクセルを開けたりしながら峠道を走ると、このバイクの面白さがどんどんわかってきた。そうだ、R1では(速すぎて&下手すぎて)公道でこういうことができなかったのだ。

 

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と同時に、R1が如何に優れたバイクであったかもよくわかった。足回りにせよブレーキにせよ安定感にせよ、あらゆる点で次元が違っていたことに気づく。思えばSIMPSONを被っていたからこそSHOEIに感動できたわけだ。比較によってはじめて認識されるクオリティというものがある。

 

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しかし公道で現実的に遊べるのはこのぐらいのクラスではないか。400cc以下とはいっても十分速いし「バイクってこうやって走らせるものでしょ」というKTMの哲学が伝わってくる。公道で楽しむために小さいバイクを買ったのに、サーキット走行にチャレンジしてみたい気持ちになっている。READY TO RACEとは大したスローガンだ。

もっとうまく運転できるようになりたい。

祭りのあと

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はじめて町の人間として参加した神田祭が終わった。日本三大祭に数えられる行事に参加できたことは、とても楽しく貴重な体験になった。
  

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前日の雨から一転、日曜日は宮入の本番ということもあって沢山の担ぎ手が集まってくる。外から来る人もいるけれど、町の誰かの知り合いでなければ半纏は借りられない。結果として変な人は混じらず、牧歌的で和気藹々とした雰囲気が守られるというわけだ。皆がハレの日をおおいに楽しんでいる。

 

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祭は伝統行事であるし、そもそもが神事だ。入念な段取りがあり、通すべき筋があり、払うべき敬意がある。役割に応じた身だしなみや立ち振舞いに、誇りと美学が滲む。特に鳶の方々の男っぷりには、惚れないわけにはいかない。

 

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はじめて参加する自分に対し、町の人はみな寛大で親切だ。けれどお客さまとして神輿を担いでみたかったわけじゃない。その準備や後始末にも関わって、当事者としてこのイベントに触れてみたかったのだ。世代をつないで大事にしてきたものを、知りたかった。

 

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遠ざかる掛け声を聞きながら、少し早めに神輿を離れて片付けを手伝いはじめる。このようなイベントの背後には、人知れず骨を折る人々の姿がある。

「その日のうちに飾りを撤去して、翌日に痕跡を残さないのが粋なんだよ」
とはこの町で育った先輩のことば。

痺れるなあ。二年後も楽しみだ。