finders keepers

バイクが楽しい。写真が楽しい。釣りが楽しい。

祭りの準備

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大通り沿いに注連縄を張り、紙垂を垂らす。
二年に一度の神田祭が、いよいよ来週スタートする。

この土地に住んでしばらくになるけれど、町会に入って町の活動に関わるのははじめてのことだ。ほとんどのことはこの地に根を張って商売をしている方々が段取りしてくれていて、自分がお手伝いできるのはこういった些細なこと。とはいえ一人でできる仕事ではないから、共同作業を通じて自然と地域の人々との一体感が生まれていく。やり方を知っている人から、若手に仕事が継承される機会でもある。祭りが担ってきたのはこのような機能なのだろう。

 

都会の賃貸マンションでは、住人は互いのことをほとんど知ることがない。土着の人にとってはなおさらであって、住人がいても一向に「町の人」は増えていかない。千代田区に新たに家を建てる人などいないし、そんな土地もないのだから、地域社会の存続には地方とは違った悩みがあるわけだ。自分もまた近所のバーで町の人と知り合いになるまで、ゆうに5年は「見知らぬ住人」でありつづけていた。

 

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実際、機会さえあれば参加したい人はたくさんいるんじゃないかと思うのだけれどね。飛び込んでみれば地域の人々はオープンでウェルカムな雰囲気で、何事も楽しい。名前の入ったマイ半纏をこしらえて藍染の腹掛・股引を買い求め、何度も水洗いをして準備は万端である。あとは神輿を担ぐ体力であるが、こればっかりは経験してみなければわからない。

空から見る世界

サン・テグジュペリやリチャード・バック、ロアルド・ダールに稲垣足穂。小説のなかで想像するだけだったヒコーキ野郎たちの見る世界を(目線というだけにおいてならば)簡単に体験できる時代になった。ドローンという機械によって。

 

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手に入れたのはDJIのMavic Pro。購入の決め手はコンパクトなサイズだ。バッグに本体とコントローラ、替えのバッテリーを2本詰めても、へたな一眼レフよりコンパクトに収まってしまう。これならバイクでも持ち歩けるし、持ち歩けるということは使う機会がふえる。天気の良くなったはじめての週末、さっそくセローで房総半島を駆け回ってきた。

 

あっけなく撮れる。操作も簡単。いやはやすごい時代だ。

コントローラに繋いだスマートフォンのディスプレイを通して、ぼくらは鳥の目線を手に入れる。思うままに飛べるのは束の間、ドローンのバッテリーが続く間だけだけれど、家に帰ってから映像を何度も反芻して、世界の美しさを堪能する。視野が広まるというのは、まさにこういうことだ。

 

*一日使った時点の、メモとして。

  • コントローラの右側にある飛行モードのスイッチに注意。スポーツモードに「なっていない」ことを確認しよう。
  • 強風やばい。風にあおられて制御が難しくなるおそれあり。
  • 調子に乗って遠くまで飛ばしていたら無線信号をロストしてしまった。が、自動的にホームポイントに飛んで帰ってきてくれた。優秀。(GPS信号をきちんと受信して離陸するとそこがホームポイントになる。)
  • ↑というようなことがあるので、バッテリー残量が半分になるまえに帰路につくべき。フライトは10〜20分程度と思っていたほうが無難。
  • 色々法規制されるのは当然です。あぶない。

努力と応援が報われる日

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サンウルブズ、今シーズン初勝利。勝負事である以上は、やはり結果というものが一番の歓びなのだと、ファンはもちろん選手やスタッフの清々しい表情が物語る。ブルズのストラウス主将が敗戦のあとで相手チームや観客を讃える態度にも、ラグビーというスポーツの魅力が象徴されていると思う。名門ブルズだって今シーズン1勝しかしていないのだ。人類が争わずにはいられない生物だとしても、競争とはこういう形であってほしい。

 

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試合後の外苑前HUBもまた、熱狂を反芻する場所である。見知らぬ人たちとハイタッチし、乾杯して、勝利の余韻に浸りながらこれから始まるニュージーランド遠征に怯えるのだ。次に勝てそうな相手はどこかとか、今ラグビーを観ていない人をどうやって巻き込むかとか、2019年のワールドカップ開催に向けて僕らは何ができるかだとか。

 

まあ色々あるから、人生は楽しいということで。

アタマのなかにSiriがいる

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ぼくらのカラダは実によくできた仕組みがあって、生きていくうえでの大半のことを制御する必要がない。そろそろ爪を伸ばしておこうとか、運動に備えて呼吸を増やそうとか、食べたラーメンから無駄なく炭水化物を得よう、などと指示する必要はない。総務や各部署のメンバーがせっせと働いてくれていて、社長に稟議書をあげてくるのはそれが必要なときだけだ。食欲とか、眠気とか、尿意とか、届けられる稟議書は巧妙なので、社長はそれに判を押すだけでよい。

 

アタマのなかには猛烈に出来の良いSiriのようなものがいて、入ってくる情報を巧みに整理し、経験やら記憶やら遺伝子のデータベースから関連情報を探し出してくれる。視界に入った友人を判別し、街の喧騒のなかから自分の名前を抽出し、紅茶に浸したマドレーヌから遠い記憶を呼び起こす。 

問題はこのSiriが、少しばかり勤勉すぎることにある。

 

目下の仕事がなくなると、Siriは過去のデータベースから資料を探し出して「あのときのことを振り返っておきませんか?」などと提案してきたりする。よい記憶の反芻ならばともかく、大抵はネガティブな事案の検証だ。アタマの中のスクリーンにムービー再生をはじめ「あのとき何と言えばよかったか」なんていうシミュレーションをやりだす。 まだ起こってもいない未来の想定プランをいくつも作り出して、結論のでない不毛な会議をはじめる。これをぼくらは不安だとか心配と呼ぶ。Siriの提案を、自分の主体と混同する。

 

必要なときだけSiriを起動し、普段はサジェスト機能をオフにしたいのだけれど、その設定画面はどこにあるのだろうか。

哲学や宗教というものは実のところ、そんな環境設定の方法を模索しているものなのかもしれない。

モトグッツィ カリフォルニア1400の印象

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カリフォルニア1400が2台並ぶ画なんて、そうそうお目にかかれるものではないと思う。このブログを発見してくださった悠々自適さんと、わが国ではおそらく稀なCalifornia 1400 Custom Meetingが実現。歴史的な日であると高らかに宣言しよう。

実際、ネットを漁ってもこのバイクに関する日本語情報がほとんど見当たらず、販売店に相談しても大した情報が得られないのは本当のことだ。希少種である我々オーナーが情報を発信しなければいけない、などという謎の使命感が生まれたので、現状のインプレッションをまとめておくことにする。

 

V7 II Stoneと乗り比べて

カリフォルニアに乗ってはじめての感想は「あれ、V7のほうが楽しいんじゃ・・・」というものだった。エンジンのブルブルがすごいといっても、アクセルを開いて回転数を上げれば、すぐにその鼓動感が息を潜めてしまう。車体やタイヤの違いゆえか、V7のようにはトラクションを感じられない。巨体を感じさせずにヒラヒラと走れたり、悠々と高速クルージングできる余裕は流石だけれども、乗っている間ずっと刺激を与えてライダーを楽しませてくれるV7に比べると物足りない。「まあ、そもそもクルーザーというのはこういうもので、自分の好みが違うということだろう。」そんな風に考えながら、ロングツーリングの帰路を走っていた。

 

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ところが、降りてすぐにV7に乗り換えてみて驚いた。V7の鼓動が細くて頼りなく感じられてしまうのだ。

V7がポップシンガーだとすれば、カリフォルニアは朗々と歌うオペラ歌手である。V7がハイボールならカリフォルニアはストレート。葉巻ならコロナとチャーチル。稲庭うどんと讃岐うどん。

1380ccの縦置きVツインエンジンがもたらす鼓動は(あたり前だけれど)744ccのエンジンよりも濃厚でダイナミックだ。身体はそれをしっかりと感じていた。どちらが優れているということではなく、鼓動の質が違うのである。このことに気がついてから、それぞれの良さや違いを注意深く見つめるようになった。

 

スポーティに、のんびりと

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2000-3000程の回転域でクルージングすれば、その濃密な鼓動感を味わえる。高速道路でも6速・80km/hくらいの速度で流しているのが気持ちよいし、下道で自動車の後ろをタラタラ走っているのも楽しい。サイドケースをつけてから無理にすり抜けをしようと思わなくなった結果、自分の所有するバイクのなかでは最も低速で走るバイクになってしまった。実に平和である。

とはいえキビキビ走らせられるということこそ、イタリア人の思想ではないか。V7にも言えることだけれど、ハンドルはよく切れ込むしバンクもできるし、まっすぐ走るより曲がることにフォーカスされている。このエンジンレイアウトから生み出される曲がり心地にこそ、モトグッツィを選ぶ理由がある。

エンジン回転数を上げて息を潜めてしまう鼓動感も、息は潜めているがやはりあるのだ。味噌汁のダシのように、あの豊かなブルブルが旨味を支えている。カリフォルニアに乗る人には、ぜひこのあたりにニンマリしていただきたい。

 

まだ4,000km

とはいえ自分の走行距離はまだ4,000kmちょっとである。少なくとも10,000kmくらい走らなければ、そのバイクのことは語れまい。エンジンのフィーリングもどんどん変わっていくだろうし、感じる力も磨かれるはずだし、扱い方も染み付いてくるはずだ。

納車のときにショップの方に言われたことばが、いつまでも耳に残っている。

「1400なんて、ずっと慣らし中ですよ」