finders keepers

バイクが楽しい。写真が楽しい。釣りが楽しい。

ミディアムフォーマットの誘惑

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久しぶりに印画紙にプリントできる環境ができたので、モノクロフイルムでの撮影に勤しんでいる。今やデジタルのほうが「よく写る」のだけれど、印画紙へプリントしてみると、これはこれで代えがたいリアリティや面白さがあるのだ。

プリントしたいからネガをつくる、とは、写真を撮るという本質で言えばあべこべだろうか。それはともあれ、せっかくフイルムで撮るのならと、中判カメラを引っ張りだした。デジタルバックの強烈な価格を考えれば、ブローニーフイルムはコストパフォーマンスが高い。面積の広いフイルムで得られる世界は、やはり格別である。

 

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ほら、こういう雰囲気。ローライコードの古いレンズは、いい塩梅に光を捉えてくれる。ほんわかしていていいじゃないか。

 

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フイルムも随分と高くなったけれど、中古カメラは安くなった。楽しむならば、今のうちではないかと思う。ハッセルでもローライでもいい。新製品の登場に心をざわつかせる必要のない世界が、ここにある。

 

MOTO GUZZI V7のデザイン

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V7 II Stoneのタンクのマットな艶はとても美しい。カタログでは華やかなイエローが目を惹くけれど、レッドはすこぶる良い選択だったと思う。モノクロームでもその色気は伝わるだろうか。

DUCATIやMVアグスタがいかにもイタリアの美女であるのに比べ、MOTO GUZZIはどことなくイモっぽいというか、田舎娘という印象だった。ところが実車を見ると、なんとなく「これはこれでいいんじゃないか」なんて感じる。じっくり見るほどに、どんどん印象が良くなっていく。そうして走りだしてみてはじめて感じられる面白さに、完全にやられてしまう。

フィアットやアルファロメオでも感じたけれど、イタリア人のつくるモノの凄さはこういうところにあると思う。初見ではしっくりこないデザインが、5年や10年を経て、色褪せずに魅力的でありつづける。ダメなところを上回る楽しさが、自然と人を笑顔にする。スペックに表れない価値は、手にして見なければわからない。

ラグビー観戦が楽しい

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ワールドカップでラグビーというスポーツの面白さに気がついて以来、チャンスがあれば観戦に出かけるようにしている。トップリーグはもちろん、女子セブンス日本代表の試合もすこぶる面白かった。早慶戦には行けなかったけれど、学生時代に一度も足を運ばなかったことを考えれば大きな心境の変化。セブンスの大会は結局2日とも秩父宮に通ってしまった。

 

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試合が終わればノーサイド。大会を終えたチームが挨拶に来ると、観客はスタンディングオベーションで選手を讃える。こういった雰囲気もとても良いものだ。野球やサッカーのような汚い野次はあまり耳にせず、ラグビー精神というものの素晴らしさをしみじみ感じる。

 

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大事なのはきっと、我々にわかファンが一歩を踏み出すこと。臨場感あふれる競技場で、昼間から酒を飲みつつ観戦しよう。お弁当やおつまみを鞄に入れて、コートやブランケット、カイロなどの防寒対策を忘れずに。スキットルに入れたウィスキーは観戦のお供にぴったりだし、魔法瓶に熱燗を入れておけば最高かもしれない。

 

Chord Mojoで得られる幸せ

オーディオというのは凝りだしたらきりがないことはわかっているし、スピーカーをきちんと配置できる住環境ではないし、そもそも大きな音なんて出せないのだから、諦めてしまったほうがいい。・・・と長年思っていたのだけれど、ポータブルアンプとヘッドホンという組み合わせなら部屋は関係ないし、投資も程々で済むことに気がついてしまった。

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というわけでChordの新製品Mojoである。その効果は明らかで、つなげるだけで音楽が生まれ変わり、ひとつひとつの音が煌めきだした。今まで聴いていた環境がどれだけボンヤリしていたものだったかと思うと、音楽を作っている人に申し訳ない気持ちになる。鼻がつまったまま食べた料理で、すりガラスの向こうの景色で、手袋をしたまま触れたもので、知ったつもりになっていたみたいに。

購入以来、10年も20年も聴いている曲をひとつずつ聴きなおして、発見を重ねる夜がつづく。音楽はほんとうに楽しい。

REBORN

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それは昨日のこと。釣りに行った帰りの高速道路上、R1で転倒した。

高速道路上をゴロゴロと転がりながら、人生の終わりを感じた。幸いにも後続の車が避けてくれたので、自分は今も生きている。身体に痛みはあるけれど、外傷は擦り傷がふたつだけ。「生かされた」と思った。

きっかけは追突を避けようとしたパニックブレーキだ。いつものように操作できなかったのか、車間距離を十分に空けていなかったのか、スピードが出すぎていたのか、不用意に車線変更しようとしたせいか、それに伴って前方から視線を逸らしたからか。たぶん、それら全てが少しずつ安全の範囲を超えていたのだと思う。少ない睡眠時間で朝早くから出かけたことも、気付かず注意力を低下させていたのだろう。

切符を切られるとか、ちょっとヒヤリとさせられる出来事だとか、神さまはいつも警告をくれる。今回もそんな警告であると、自分にはわかっている。道中、R1の性能のままに「スピードを出しすぎていた」という自覚があるから。あのような走りの果てに、きっと取り返しの付かない事故が起こるのだ。

 

一度死んだものと思うと、すべてのことがありがたく感じる。愛想のないコンビニの店員を愛おしく思い、うどんに香る七味唐辛子に自然の循環を感じる。夜、母親から他愛のない用事の電話がかかってきて、いつもと変わらぬ声を聞きながら、生かされた意味を知る。

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