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finders keepers

バイクが楽しい。写真が楽しい。釣りが楽しい。MOTO GUZZI V7 II Stone / MOTO GUZZI California 1400 Custom / YAMAHA SEROW 250 / YAMAHA YZF-R1 / XL1200X

モトグッツィ カリフォルニア1400の印象

California 1400 Moto Guzzi バイク

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カリフォルニア1400が2台並ぶ画なんて、そうそうお目にかかれるものではないと思う。このブログを発見してくださった悠々自適さんと、わが国ではおそらく稀なCalifornia 1400 Custom Meetingが実現。歴史的な日であると高らかに宣言しよう。

実際、ネットを漁ってもこのバイクに関する日本語情報がほとんど見当たらず、販売店に相談しても大した情報が得られないのは本当のことだ。希少種である我々オーナーが情報を発信しなければいけない、などという謎の使命感が生まれたので、現状のインプレッションをまとめておくことにする。

 

V7 II Stoneと乗り比べて

カリフォルニアに乗ってはじめての感想は「あれ、V7のほうが楽しいんじゃ・・・」というものだった。エンジンのブルブルがすごいといっても、アクセルを開いて回転数を上げれば、すぐにその鼓動感が息を潜めてしまう。車体やタイヤの違いゆえか、V7のようにはトラクションを感じられない。巨体を感じさせずにヒラヒラと走れたり、悠々と高速クルージングできる余裕は流石だけれども、乗っている間ずっと刺激を与えてライダーを楽しませてくれるV7に比べると物足りない。「まあ、そもそもクルーザーというのはこういうもので、自分の好みが違うということだろう。」そんな風に考えながら、ロングツーリングの帰路を走っていた。

 

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ところが、降りてすぐにV7に乗り換えてみて驚いた。V7の鼓動が細くて頼りなく感じられてしまうのだ。

V7がポップシンガーだとすれば、カリフォルニアは朗々と歌うオペラ歌手である。V7がハイボールならカリフォルニアはストレート。葉巻ならコロナとチャーチル。稲庭うどんと讃岐うどん。

1380ccの縦置きVツインエンジンがもたらす鼓動は(あたり前だけれど)744ccのエンジンよりも濃厚でダイナミックだ。身体はそれをしっかりと感じていた。どちらが優れているということではなく、鼓動の質が違うのである。このことに気がついてから、それぞれの良さや違いを注意深く見つめるようになった。

 

スポーティに、のんびりと

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2000-3000程の回転域でクルージングすれば、その濃密な鼓動感を味わえる。高速道路でも6速・80km/hくらいの速度で流しているのが気持ちよいし、下道で自動車の後ろをタラタラ走っているのも楽しい。サイドケースをつけてから無理にすり抜けをしようと思わなくなった結果、自分の所有するバイクのなかでは最も低速で走るバイクになってしまった。実に平和である。

とはいえキビキビ走らせられるということこそ、イタリア人の思想ではないか。V7にも言えることだけれど、ハンドルはよく切れ込むしバンクもできるし、まっすぐ走るより曲がることにフォーカスされている。このエンジンレイアウトから生み出される曲がり心地にこそ、モトグッツィを選ぶ理由がある。

エンジン回転数を上げて息を潜めてしまう鼓動感も、息は潜めているがやはりあるのだ。味噌汁のダシのように、あの豊かなブルブルが旨味を支えている。カリフォルニアに乗る人には、ぜひこのあたりにニンマリしていただきたい。

 

まだ4,000km

とはいえ自分の走行距離はまだ4,000kmちょっとである。少なくとも10,000kmくらい走らなければ、そのバイクのことは語れまい。エンジンのフィーリングもどんどん変わっていくだろうし、感じる力も磨かれるはずだし、扱い方も染み付いてくるはずだ。

納車のときにショップの方に言われたことばが、いつまでも耳に残っている。

「1400なんて、ずっと慣らし中ですよ」

 

丁酉・元旦

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人にはそれぞれ持って生まれた身体があって、それをどう使うかは自分次第。このシンプルな事実を実感できたことが、ランニングをはじめて最もうれしいことだったかもしれない。こどもの頃に「じぶんは運動が好きじゃない」と思っていたのは、たぶん他人と比べていたからだ。肉体というものは実に素直に変化してくれるので、自己の成長だけにフォーカスするとこんなにおもしろいものはない。自分を追い抜いていく人をうらやむ必要もなく、人を追い抜いて誇らしく思う必要もない。ランナーはそれぞれ、自分と向き合っているだけだ。

 

走りはじめて2ヶ月半。10kmの距離も(遅ければ)走れるようになったし、体重は5kg落ちた。野菜を食べる量も増えた。もう少し早くにこのようなライフスタイルの変化を起こしていたら・・・と思わなくもないけれど、色々な物事に気がつくにもそれぞれの人生のペースがあるわけだ。これはこれでいいじゃないか。

 

新年、あけましておめでとうございます。

運動不足がランニングをはじめたという極私的な話

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慢性的な肩・背中の凝りが実生活にも影響を及ぼすようになって、とうとうランニングをはじめた。「運動しないと」という消極的な意志ではなく「身体動かしてよ」という内なる声に突き動かされた感じで、個人的には「革命的な」出来事といえる。運動の方法をランニングに決めたのは、友人もまた今年から走りはじめていたからだ。居酒屋でビールを飲みながら「まずウェアを揃えてから」という自分に「こりゃだめだ」というのが皆の反応であったが、翌日ほんとうにウェア一式を揃えた。奮発して機能性インナーも。道具を手にすれば、さっそく試してみたくなるものである。

20年分くらいの運動不足に慣れている身体は、びっくりするほど動かない。からだが重く、スピードは出ない。1ブロック進んだだけで息があがる。それでも人間の身体というのは大したもので、筋肉痛の1日を経た次のランでは明らかに身体が楽になった。1〜2日おきに3〜5kmくらいを走って、じっくりと身体に刺激を加えると、身体はわかりやすく応えてくれる。手応えがあるので楽しい。そもそも、走った後は気持ちがいい。

何かに関心を持ち出すと、いろいろと本に手を出すのは自分の癖だ。雑誌やガイド本はもちろんだけれど、自分に影響を与えるのは小説やエッセイであったりする。物語は頭ではなく心を動かしてくれる。

「風が強く吹いている」三浦しおん
「走ることについて語るときに僕の語ること」村上春樹
「BORN TO RUN」クリストファー・マクドゥーガル(近藤隆文 訳)

これとは別に、ランとは関係のない興味関心が不思議なほどにリンクしていくというのが面白い。もちろん単純に「自分が欲するものを選び取っている」だけかもしれないし、都合よく読んでいるだけかもしれないけれど。最近読んできたその他の本は、例えば以下のようなものだ。

「ブッダのことば―スッタニパータ」(中村元 訳)
「シッダールタ」ヘルマン・ヘッセ(手塚富雄 訳)
「自分を変える気づきの瞑想法」アレボムッレ・スマナサーラ
「サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福」ユヴァル・ノヴァ・ハラリ
「あなたの知らない脳」デイヴィッド・イーグルマン
「易経読本―入門と実践」河村真光
「養生訓」貝原 益軒
「一汁一菜でよいという提案」土井善晴
「GO WILD 野生の体を取り戻せ!」ジョン・J・レイティ/リチャード・マニング

書店に行ってもマインドフルネスは昨今のキーワードであるようだが、自分は仏教の書籍から入った。仏教に興味を抱いたのは神社仏閣巡りをはじめたからだし、神社仏閣巡りはバイクツーリングの流れからスタートしている。「易経」などは漢方薬メーカーの方と知り合って東洋医学・東洋哲学に関心を持ったからで、自然を求める生き方はキャンプや釣りに勤しんできた流れかもしれない。別々の出来事がひとつの方向に向かうさまは、伏線が上手に回収されてゆく映画のようで愉快だ。結果として、自分でこしらえたワラーチを履き、身体の力を信じて走りだすことになった。

東京に住むランナーの常として今は皇居の周りを走っているが、やがてトレイルランの世界に踏み出すだろう。絶対に楽しくて、気持ちがいいはずだ。目下の課題は食生活と睡眠だが、身体から発せられる心地よさに耳を傾けていれば、おのずと変化していくと勝手に期待している。巷にあふれる情報や理論には正反対の主張があるから、何を採用するにしても少しずつだ。ハンドルを急に操作すれば事故につながる。

とはいえずいぶん回り道をしたというだけで、単に人間としてあたりまえの生活に向かっているということかもしれない。思えば西洋医学であろうと東洋医学であろうと、医者に言われてきたことはいつも同じだったではないか。

「食事と運動を改善しましょうね」と。

California 1400 にサイドケースをつけた

California 1400 Moto Guzzi バイク

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カリフォルニア1400での走行距離は現在3800km。走るたびに印象に変化があり、なかなかインプレッションを語るに至らないでいるのだが、いよいよサイドケースをつけてみた。本国取り寄せということで数ヶ月待つのかなと思っていたら、1ヶ月かからず届いて想定より出費が早まる。

ボディカラーとマッチし、流麗なリアラインはお見事。しかし・・・ 

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でかい。アメリカ人が作ったようなサイズ感に驚く。そりゃあアメリカンというカテゴリではあるのだけれど、イタリアって街並み狭い国ではなかったっけ。バイク屋に引き取りに行って、若干後悔したのはここだけの話。

さっそくツーリングに出かけてみると、やはりこれだけの容量があるとすこぶる便利である。荷物はぜんぶケースに詰め込んでしまえるから運転中負担がなく、鍵がかかるから旅先でも身軽に歩き回ることができる。雨具や工具のスペースを工面する必要がないし、気兼ねなくお土産を買える。

そしてまた、これだけ重いものをつけても走りにはちっとも影響がない。むしろリアの重量によって、バランスが良くなった気さえする。ライディングを楽しむバイクに余計なものはつけたくないが、そもそも身体ひとつで乗ろうとするならこんなに大きなエンジンは要らないのである。重い車体とパワフルなエンジンによって生まれる世界は、まったく別物というわけだ。

ハーレー界隈(とくにウルトラとかの)のツーリングの楽しみ方が、ようやく腑に落ちた気がする。車庫から出してしまえば、これはこれですばらしい世界だ。

身の丈を知る

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身の丈を知る、ということは大切だ。身体に合わぬ服は不格好でしかなく、たとえ安物でも身体に合った服を着ているほうが美しい。バイクにしても自分の背丈や手脚の長さから考えてちょうどいい寸法があるし、運転技術や自己統制の程度から見たちょうどよさがある。V7は実に、自分の身の丈・身の程に合っている。

「その気にさせる」バイクというのは多々あって、そのようなバイクに跨がればついつい速度が上がってしまう。あるいは低速では全然楽しめないバイクもあるし、急かされるようなバイクもある。元気なときはいいが、疲れてきたときにはつらい。V7はその点が(自分にとって)ちょうど良くて、自分が楽しみたいテンポでライディングを楽しませてくれる。セローは250ccということもあってそれ以上にフレンドリー。刺激は少ないかもしれないが、何かを押し付けられることはない。

背伸びをするから見える世界もあるのだが、身の丈を知ることとはまた別の話のように思う。