finders keepers

バイクが楽しい。写真が楽しい。釣りが楽しい。

閃きのタネ

ここ2ヶ月くらい将棋の本を読んでいる。だいたいは棋譜を読みながら手順を辿るものであって、ビギナーには読むこと自体が大変だ。それでもようやく1冊読み終えて、いざゲームソフトをプレイしてみても、低レベルのコンピュータに負けてしまったりする。将棋の道は果てしない。

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それでも元来アタマを使うことが楽しいのか、すっかりハマってしまったようだ。5冊も10冊も読む頃には、少しは読めるようになってくる。とはいえ将棋の本は難しいので、手順を丸暗記したり、完全に理解したなんて状態にはなれそうにない。読んでも読んでも棋力が上がった実感が持てない。

しかし、である。人間の脳というのはすごいもので、並べた棋譜は一応はアタマに入っているらしいのである。考えたプロセスは何かしらの爪痕を残しているらしいのである。このことに気がついたのは、久しぶりに詰将棋の本を開いたときだ。簡単に解ける問題が明らかに増えていた。閃くようになった。

この体験を踏まえると、思考とは単なるデータ検索であって、データをインプットしておいたから閃きが生まれた、ということに思える。もしそういう構造ならば、経験も知識も多彩であるほど閃きが生まれるはずだ。逆に、余計なタネを貯めておくと健全でない思いつきが生まれるかもしれない。

思いつくという行為が一体何であるのか。
どうやって私たちは閃いているのか。
その思いつきは本当に私の行為なのか。

そんなことを不思議に思いつつ、今日も棋譜を辿る。

歳を重ねても

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隣の席の会話が耳に入ってくる。男性ふたり、 50〜60代といったところだろうか。どちらも落ち着いて理知的な雰囲気があった。声のトーン、話し方だけでもそれは伝わる。気になってしまったその内容というのは、ふたりのうちの一方(Aさん)が話し続けていたこと、要約すれば「Bさんとは仕事をやっていけない」という話だった。断片的に記憶しているAさんの訴えは、例えばこんなものである。

・Bさんの態度はひどい。
・Bさんは自分がすべて正しく、上から目線だ。
・BさんのCさんに対する言葉遣いが許せない。
・Bさんの言動には相手に対する敬意が感じられない。
・Bさんがいることでチームの生産性が下がる。

Bさんという人は本当に厄介者なのかもしれない。Bさんが変わればチームは変わるのかもしれない。その一方で「どこにでもある話だ」とも考えてしまう。アフターシックスで上司に訴えるというのも、ありふれたシーンだ。

そんなありふれた会話が心に残っているのは、話していたAさんが「立派な大人」に見えたからである。学校の人間関係に悩む10代ではない。社会に出たばかりの20代でもない。まだ若さの残る30代でもない。充実の40代を超えて人を導く50代の男性が、やはりこういう話をしていたのである。「ああ、そうか」と思う。「歳を重ねてもこういう話はなくならないのだ」と。

若い頃は、オトナになればつまらないすれ違いは減るものだと思っていた。人生経験に従って相互理解や思いやりが生まれ、議論が起きたとしてもその次元は高くなるのだと思っていた。

どうやらそういうわけでもないというのは、失望か、福音か。

読書感想文:感情とはそもそも何なのか

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著:乾 敏郎
出版社:ミネルヴァ書房

 

タイトル通り「感情とはそもそも何なのか」ということを現代の科学的見地より解説している。大変面白かった・・・が、多くの人にとってはそうではないかもしれない。例えるなら、映画の内容ではなくそれがスクリーンに投影される仕組みを語っているような本だからだ。

タネ明かしをすれば「体内の状態を脳が理解すること、そしてその原因を推定することで生じるもの」が感情だという。どういうことか。

生きていくうえで私たちのカラダは絶えず状態を確認し、適切な状態に保とうとする仕組みがある。あるいは予測される変化に備えておく仕組みがある。カラダの状態、たとえば血圧や心拍数や体温だとかの状態は気分に直結しているらしい。心拍数が上がってドキドキしている。それが単に吊橋を渡る危険に準備したものだというのに、眼の前にいる異性を原因と解釈したりすることがある。この相手に興奮したのだと、恋ではないかと錯覚する。

本書で解説されるそのメカニズム、特に予測と予測誤差を埋めていくという機構は、運動や知覚、価値判断や学習、そして気分障害やうつ病なども説明できて面白い。感情に乏しいとか、他人に共感できないとか、極度の心配性だとか、そういったものも説明できてしまう。それは体内感覚を把握する感度が鈍いとか、予測信号が強くなってしまうとか、予測誤差をうまく埋められないとか、そういったプロセスのなかで生まれるもの、という次第に。

そのような機能不全?に対処する方法は、また別のはなし。
とはいえ、アタマの中で発生する嫌な思い出のループを瞑想が断ち切る事例などを見ると、仏教のメソッドに手がかりが溢れているように思う。

 

 

暦に息づく陰陽五行の思想

今やぼくらの使うカレンダーはもっぱらグレゴリオ暦だけれど、昔の人が指針とした暦もちゃんと残っている。そういうものを探ってみると、昔の人が当たり前に持っていた知識が、新鮮に発見されて面白い。たとえば太陽の動きを24分割した「二十四節気」を眺めれば、季節の変化はこちらのほうが実態に即しているとわかる。

2018年の二十四節気

2018年、猛暑がつづく日本列島は今まさに小暑から大暑に差し掛かったあたりである。日が一番長い「夏至」を越えて、暑さのピークは少し遅れてやってくるのが自然の摂理。立秋になれば暑さも和らいでいくはずだが、今しばらくは辛抱が必要というわけだ。冬もまた同じように、日が一番短い「冬至」が寒さの極みではない。あたたかくなりはじめる立春に旧正月を迎えるなど、昔の人は実にふさわしい日を節目としていたと思う。(ちなみに節目を分けるのが「節分」である)

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さて古代中国に生まれた五行という考え方があって、万物を五種の元素(木火土金水)に分ける。これを季節に対応させると、春夏秋冬が木火金水、各季節の変わり目が土(土用)となる。五行各元素の関係を示した図は知らずとも、相克の描く五芒星のマークには見覚えがあるのではないだろうか。(平安時代の陰陽師・安倍晴明が紋に使っている)

古の人は肉眼で見える星に木火土金水の名前をあてた。そこに太陽と月を加えれば「七曜」(日・月・火・水・木・金・土)となり、いまは「週」を構成する各日のラベルになっている。しかしこれが当たり前になっているからといって、ほかのやり方がないわけではない。

たとえば6日でワンセットとなる「六曜」がある。先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口というアレだ。「二十八宿」なんていうものもあるけれど、使っている人は見たことがない(角 亢 氐 房 心 尾 箕 斗 牛 女 虚 危 室 壁 奎 婁 胃 昴 畢 觜 参 井 鬼 柳 星 張 翼 軫)。「九曜」は「七曜」に2つ加わる。

 

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今も生活に息づいているのは「干支」だろうか。とはいえ皆が諳んじられるのはたぶん十二支(じゅうにし)のほうであって、十干(じっかん)が認識されているかどうかは怪しい。2018年の干支を問われれば「戌年」というのは片手落ちで、本来は「戊戌(つちのえいぬ)」である。十干も十二支も毎年1つずつズレて繰り返していくので、その組み合わせは60年で一周することになる。(これが「還暦」である)

十干の読み方を見れば、陰陽五行が割り当てられていることがわかる。兄と弟というのは陽と陰。干支を「えと」と読むのはこの兄(え)・弟(と)によるのに、記憶されているのが十二支のほうだというのも興味深い。十二支に動物が割り当てられたのも単に記憶しやすくするためだとか。

干支は年だけでなく日にも割り当てられていて、それゆえ「丑の日」は12日毎にあらわれる。「土用」の期間は18〜19日なので「土用の丑の日」はせいぜい1〜2日。僕らが使うカレンダーにはふつう干支は書かれていないので、メディアやお店が掲げる日に(うなぎを食べるとか食べないとか)踊っているばかりだ。

 

ところで今年が「土」の年であると認識して何らかの意味を見るのは、叡智だろうか、蒙昧だろうか。生年月日から導き出される性格診断の根拠がこれらの暦だと知ったら、笑うだろうか、感嘆するだろうか。